将棋局面|大山康晴 vs 中原誠 1967-11-21 棋聖戦|その1 中原、大山との初対局
1967-11-21 第11期棋聖戦本戦準決勝
*「大山康晴名人」vs「中原 誠五段」
数ある大山ー中原戦の初顔合わせの一局。「中原誠五段」という肩書が古めかしい。
6三飛成が見えているが後手にうまい手があった。
△2四香▲8一飛△8九馬▲5七銀△5一金右
中原、大山との初対局
直接6三を受けるのではなく△2四香が攻防の好手。先手は6三飛成としたいが、後手は8一角!という用意の大好手があって「ギャッ」となるのだ。
仕方なく▲8一飛と金取りに打ったが△8九馬と利かすのがいい手。▲5七銀に△5一金と手を戻す。
2図でも6三飛成としたいが、4五角の好手があってこれまた「ギャッ」となる。
2図で仕方なく▲9一飛成としたが、△7九角▲5八飛となり結局先手は6三飛成とできなかったのである。
つづきあり、その2で。
将棋局面|大山康晴 vs 中原誠 1967-11-21 棋聖戦|その2 中原、大山との初対局で快勝
1967-11-21 第11期棋聖戦本戦準決勝
*「大山康晴名人」vs「中原 誠五段」
その1のつづき。
後手に思わぬ寄せの好手があった。
△6七金▲同銀△同馬
中原、大山との初対局で快勝
1図で△6七金とベタッと打ったのが俗手の好手。金のない相手に金を渡すからうっかりする手である。これを見て大山名人は長考した。受からぬことがわかり、愕然とされたであろう。
2図は先手受かりそうで受からない。4八金打ちが形だが4五馬が痛すぎる。
▲6八金と打ったが、△同角成▲同銀△2七香成▲同玉△5八角成▲同金△3九飛で寄り形。以下数手で後手勝ちとなった。
こうして大山ー中原の初対局は中原快勝となった。この勢いで山田棋聖に挑戦することになる。中原先生20歳のときであった。
将棋局面|石田和雄 vs 中原誠 1976-11-08 新人王戦記念対局|矢倉定跡形の終盤ででた中原の妙手
1976(昭和51)-11-08 第07回新人王戦記念対局
*「石田和雄新人王」vs「中原 誠名人」
相矢倉の終盤。先手は堅陣で後手はバラバラ。
だが後手に妙手があった。
△8六香
矢倉定跡形の終盤ででた中原の妙手
△8六香が妙手だった。桂馬を打つのが常用手筋だが香車は見えにくい。
2図は詰めろではないが、4三歩成なら1一玉が詰めろ。以下3三となら、8七香成、同玉、8六銀、8八玉、9七角!、同香、8七銀成!、同玉、8六香以下詰む。絶妙の詰み手順である。
実戦は▲同歩△同歩▲同銀△8七歩▲7七玉△1一玉▲1三歩成△8八角▲8七玉△9九角成で先手玉は受け無し。以下先手は王手を続けたが詰まず、後手中原名人勝ちとなった。中原先生の実戦集で「研究の成果が実戦に現れた一局である」とあり、研究していたことがわかる。
1図を序盤までさかのぼると下の3図である。3図は当時流行した形らしい。ここから▲5五歩と仕掛けるのが定跡でその終盤が2図であった。プロ棋士がよく「この形は詰みまで研究されている」などと口にするが、まさに中原名人は詰みまで研究していた。
ちなみに両者の新人王戦記念対局はこれが二度目。前回は石田快勝だった。
将棋局面|羽生善治 vs 郷田真隆 1994-09-19 王位戦第7局|羽生が王位防衛
1994/09/19第35期王位戦七番勝負第7局
*「羽生善治王位」vs「郷田真隆五段」
先手はここから地味に攻めた。
▲5五歩△4四金▲4六歩
羽生が王位防衛
▲5五歩と打つ。6四金だと4四歩が利いてダメそうだ。
で、△4四金と寄ったが▲4六歩が手筋の好手。同歩なら4五歩だし、後手は馬筋を遮断されているのが痛い。地味な攻めだがきびしく、このあと先手羽生勝ちとなった。
1992年郷田さんが谷川さんから王位を奪取し、翌年羽生が奪い、このシリーズはその翌年のリーターンマッチだった。
この王位戦シリーズは郷田さんが短手数で快勝した将棋もあったが、フルセットの大激戦の末、羽生さんが王位を防衛した。翌年も郷田さんが挑戦者となり3年連続同一カードとなったが、羽生さんが連続防衛を果たした。
郷田さんとの大勝負を制したことは大きく、羽生さんは1996年に七冠独占を達成することになる。