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将棋局面|中原誠vs米長邦雄1985-01-07十段戦7局|米長邦雄が四冠王に

1985-01-07第23期十段戦七番勝負第7局

「中原 誠十段」vs「米長邦雄棋聖棋譜 

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米長邦雄四冠達成の名局から。△米長矢倉から△6五歩早仕掛けの将棋。

1図、後手歩切れだが金桂交換の駒得。後手のここ数手が印象に残る。

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△8六歩▲同歩△1四歩▲4五銀△4三金打

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手厚い金打ちで金閣寺が出現 米長邦雄四冠王

△8六歩と突き捨て△1四歩が好手。1五桂を防ぎつつ1三角ノゾキを作った手。 そして▲4五銀に△4三金打が手厚い好手。節約して4三金上るだと、5三歩成、同金、3四銀がある。 △4三金打と打って後手陣は何とも厚くなった。まるで金閣寺を見るような豪華な陣形である。 こう打たれると先手は有効な手がなく、後手は駒得を生かして、うまく先手の突進を食い止めた。

困った中原十段は2図で、▲9六歩!と中原流の手待ちをひねりだした。 以下△7五歩から△3三桂の反撃で難解な戦いへ突入したが米長が押し切った。双方秘術を尽くした将棋であった。

米長邦雄先生四冠達成の一局であると共に生涯の名局でもあったと思う。 四冠は十段・王将・棋王棋聖。大山先生、中原先生に次ぐ史上三人目だが、名人を含まないのは米長先生が初めてであった。

将棋局面|中原誠 vs 桐山清澄 1978-01-07 棋王戦|中原、妙手で大勢を制す

1978(昭和53)-01-07第03期棋王戦本戦勝者組決勝
*「中原 誠名人」vs「桐山清澄八段」

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向飛車から飛車交換になった。後手は△5八歩とたらして、と金攻め。

先手に意外な手が・・・。

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▲5五飛

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中原、妙手で大勢を制す

▲5五飛と天王山に打ったのが妙手。

よくみると後手はひどい。5三歩成を受ける思わしい手がない。6二金や5二銀は6五桂と足される。

▲5五飛は妙だが絶対の打ち場所だった。同じようでも、5六飛だと2五飛成から6四桂があって紛れそう。▲5五飛で2五の桂馬は取られず、自陣の受けにも利いた。大勢を制した攻防の妙手であった。

2図以下△6四角▲5三歩成△5九歩成▲5二歩△5八と▲5一歩成と、と金合戦になったが先手中原勝ち。

将棋局面|加藤一二三vs大山康晴1981-01-06A級順位戦|大山の強引なサバキ

1981-01-06 第39期順位戦A級07回戦「加藤一二三十段」vs「大山康晴王将」 

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 大山康晴十五世名人はチャンスあらば積極的だった。

四間飛車に▲引き角から棒銀の将棋。

1図となり、後手は平凡な駒組みをしなかった。

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△6五歩▲同歩△7三角▲2七飛△5五歩▲2四歩△5六歩▲2三歩成△2六歩

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大山の強引なサバキ

後手は囲っているが先手は不十分、というわけで大山王将は動いた。 △6五歩の突き捨てから△7三角。一瞬気持ちがいいが、2筋を放棄するのでかなり強引なサバキである。 2図の△2六歩がねらいの返し技。 以下、▲1七飛△5二飛▲5八歩△5五銀▲3四歩△6六歩▲同金△同銀▲同銀 △2七金▲同銀△3七角成と、強くさばいた。 本局は攻めに攻めて後手大山勝ちとなった。

将棋局面|藤井猛vs井上慶太1995ー12ー22 B2順位戦|「藤井システム」1号局  藤井、奇跡が起きたような勝ち方

1995/12/22 第54期順位戦B級2組07回戦
「藤井 猛六段」vs「井上慶太六段」

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四間飛車で「藤井システム」の一号局。

▲4五銀に△8四飛と横利きで受けた局面。

きびしい攻めがあった。 

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▲3五歩△同歩▲2五桂 

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藤井システム」1号局 藤井、奇跡が起きたような勝ち方 

藤井システム」って何かというと簡単に表現するのは難しい。

四間飛車戦法における手法。玉の囲いを省略して早めに桂馬を跳ねる手法。主には居飛車穴熊を警戒した布陣だが、左美濃対策の布陣もある。」このように私は思っているけど、言い得ているかどうか・・・。

 

さて本局。藤井システムが初めて指された第1号局だが、桂跳ねからの攻撃が大炸裂し、大成功の一局となった。のちに藤井さんはニコニコ動画でこの一局を「奇跡が起きたような勝ち方」「普通はプロ同士ではありえない」「将棋ではありえない勝ち方」と語っている。

 
さて実戦。▲3五歩の突き捨ては手筋。3筋に歩が利くし、2四角から4六角を消す。

ポンと▲2五桂。藤井システムといえばこの桂跳ねで、これでどうしても手が続くようだ。▲1六歩と突いてあるのが周到で、1五角を消してる。

後手の井上さんとすれば警戒はしていたろうが、実際に桂馬を跳ねられて読んでみるとまずいのに気づいたのではないか。

2図以下△4四角▲6五歩△ 2四歩▲6四歩(65) △2五歩▲4四銀△ 同歩▲5五角△3二桂▲3三歩△同王▲4五角(3図)と進んで先手勝勢となった。

▲2五桂に対し2四角や4二角とできないとおかしいが、△4四角は非常手段。

▲6五歩と角筋を通してからの攻めが強烈だった。▲3三歩が好手。同桂なら6三歩成から3四歩だ。

▲4五角が狙いの好手。これで後手収集困難だ。

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3図以下、5四歩、6六角、2二王、8四角、4五歩、6三歩成まで、47手で先手の勝ち。

将棋局面|木村義雄 vs 花田長太郎 1937-12-05 名人戦|危なそうな好手 昭和12年、木村が実力制で初めての名人となる

1937-12-05第01期名人決定大棋戦千日手指し直し局

木村義雄八段」vs「花田長太郎八段」

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「名人決定大棋戦」という表現が古めかしい。

昭和12年に実施された初の実力制名人決定戦だった。4六の銀を△5五銀と引いたところ。

先手木村義雄に大胆な手が出た。

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 ▲2六飛

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危なそうな好手 昭和12年、木村が実力制で初めての名人となる

 5八飛だと5六歩と打たれてまずそう。後手には4五桂の援軍がある。

とはいえ▲2六飛は大胆な手。6六銀の王手があるではないか。

2図で6六銀だと、5六銀、4五桂、5八歩で大丈夫ということらしい。▲2六飛は危なそうな好手だった。これが成立したのは後手にとって痛く、このあとが大変になったのだ。後手は3三桂と跳ねているのが悪形である。

2図以下△5六歩 ▲5八歩 △1四歩 ▲6八金 △1三角▲6九玉とゆっくりした流れになったが、後手は駒組みに苦心することになった。

この後、先手は7八玉型にして金銀で中央を制圧した。先手圧力勝ち、といった内容だった。

木村義雄八段はこれに勝って、実力制で初の名人になった。2月に有名な「南禅寺の決戦」で坂田三吉を下し、その10か月後のことだった。 

 

第一期名人決定大棋戦を理解するのに私は苦労

昭和10年に関根金次郎十三世名人が引退し、実力名人戦がスタートした。

「第一期名人決定大棋戦」は、今で言えばA級順位戦のようなリーグ戦が行われたわけだが、私にはどういうものか理解するのが大変だった。

リーグ戦のメンバーは、土居市太郎、大崎熊雄、金易二郎、木見金治郎、花田長太郎、木村義雄金子金五郎、神田辰之助萩原淳ら八段。といっても、当初は7人だったのに、途中で神田、萩原が入って9人ということになった。

2人の参加をめぐって途中で”分裂騒動”が起こるというグチャグチャしたものだった。現在の日本将棋連盟のように組織が定まらないから、面倒な時代だった。それにしても途中で2人増えるなんて。

リーグ戦は昭和10年から12年の3年もかけて行われた。同一カードで先後入れ替え2局戦った。何とも長丁場であった。大崎八段は病気でリタイアしてしまった。

持ち時間が、棋譜を見るとその対局により異なる。11時間、12時間、13時間、あれれ?なんで違うんだろ。いずれにせよ長い。今ニコニコ生放送でやったら大変だろう。

そもそも規約が妙なものだった。まず、リーグ戦をやっているのに、他の棋戦の成績までポイントに加えるというものだった。また、1位2位のポイント差が8点に満たないと、両者で六番勝負を行う。六番勝負?七番勝負じゃないの? 六番勝負が3-3なら1位が名人になるという規約。あくまでリーグ戦の成績重視というわけなのか、それなら他棋戦の成績がポイントになるのは矛盾しているようで理解しがたい。

結局この一戦が終って両者2敗となったが、木村八段の他棋戦の好成績がものをいって8.1ポイント差となった。規約により六番勝負は行われなかったのである。

規約などいろいろ釈然としない点はあるが、改定を重ね現在のタイトル戦があるのだろうとしみじみと思う。 

将棋局面|森下卓 vs 羽生善治 1988-12-03 天王戦|羽生の怪しげな動きからの好手

1988/12/03第4回天王戦決勝*

「森下 卓五段」vs「羽生善治五段」

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矢倉戦で△6二飛戦法だが、角をぶつけて交換になった。ここから後手羽生の動きが怪しげだった。

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△3七歩▲同 桂△6五飛 ▲8二角 △3六角 

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羽生の怪しげな動きからの好手

 △3七歩と焦点の歩を打ち捨て。▲同桂に△6五飛と走る。何やら怪しげな動きだった。

こうされるとついつい空き巣に▲8二角と打ちたくなり、事実打ってしまったが、これが大悪手。4七銀と上がるところだったらしい。

△3六角が好手でひどいことになった。6七飛成があるので▲6八玉と上がったが △2七角成▲3九飛 △3六歩で後手優勢となった。短手数で後手羽生勝ち。 

森下さんは羽生さん相手だと、大きな見損じでバッタリということがしばしばあったようだ。本局はまるでハメ手にハマったような一局であった。

将棋局面|羽生善治vs谷川浩司1996-10-29竜王戦2局|その1 記憶に残る谷川の絶妙手 寄せの名人谷川の名局

1996(平成8)10/29第09期竜王戦七番勝負第2局
羽生善治竜王・名人」vs「谷川浩司九段」

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角換りで後手棒銀からゆっくり固め合う将棋だった。

△5九角に▲6九飛と引いたところ。

とんでもない手がでた。

 

△7七桂 

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記憶に残る谷川の絶妙手 寄せの名人谷川の名局

△7七桂!!! 

谷川さんの絶妙手。「平成の名手」とも評された手。

谷川さんの手はインパクトの強いものが多いが、私にはそのなかで最も記憶に残る手である。

桂馬の使い方としては超異例で、なんだか印刷の誤植のように見えてしまう。2図は何度見ても滑稽でたまらないのだ。

また、囲碁でホウリコミという捨て石の手筋があり、それも連想する。これを同桂だと7六歩で寄せがスピードアップする。

羽生さんは取らず、▲5九飛△6三飛▲5四角(3図)と進行した。続きあり、その2に続く。本局は谷川さんの名局。

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将棋局面|羽生善治vs谷川浩司1996-10-29竜王戦2局|その2 とどめの妙手 寄せの名人谷川の名局 

1996(平成8)10/29第09期竜王戦七番勝負第2局
羽生善治竜王・名人」vs「谷川浩司九段」

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その1からの続き。

 誤植に見える7七の桂馬が面白い。

ここでとどめの妙手がでた。

 

 △6八角

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とどめの絶妙手 寄せの名人谷川の名局

 △6八角がとどめの妙手。グサッとわき腹を刺したような手であった。

以下 ▲5八飛 △8九桂成▲同 玉 △7六歩 ▲6八飛 △同飛成 ▲同 金 △7七銀で寄り形になった。

絶妙手△7七桂から鮮やかな寄せだった。このシリーズは4-1で谷川さんが92年羽生さんに獲られた竜王を奪還した。

谷川さんは”高速の寄せ”といわれた寄せの名人だったが、本局は92年の竜王戦1局に並ぶ名局と思う。 

将棋局面|大山康晴 vs 米長邦雄 1982-10-24 名将戦|一連の勝負手 囲碁の感覚を取り込んだ米長将棋

1982/10/24 第09回名将戦本戦3回戦*

大山康晴十五世名人」vs「米長邦雄棋王」 

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バシッと▲5七飛打と打った局面。

二枚飛車がたてに並ぶ大山流の好手で、大山ペースだが・・・。

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△4六歩▲同 銀、 同 角、同 飛、6七角成、 同 飛、5五金打 ▲8六飛△5六銀

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一連の勝負手で厚みを主張 囲碁の感覚を取り込んだ米長将棋 

△4六歩から米長さんは角2枚斬ってしまった。大駒は無くなって、中央に金銀の柱ができて、持ち駒は歩だけ。最初見たときはこんなのでいいのかと思った。

米長さんは名著「逆転のテクニック」で、不利な時は「相手より勝っているものを見つけ、長所を伸ばす」と述べている。

2図に至り、米長さんが中央に金銀の柱を構築した手順が一連の勝負手で、厚みを主張したのであった。逆に先手の厚みは消えてしまい、急に玉が薄くなった。まだ先手有利だが、この厚みが大山十五世の心理に影響したと思われ、のちに失着がでて逆転し、後手米長勝ちとなった。

米長さんはたびたび厚み、厚みと主張されている。囲碁の本まで書いた米長さんであるが、碁でとかく言われるのが厚みである。米長将棋はこうした囲碁で養った感覚をうまく将棋に取り込んでいたようだ。

将棋局面|羽生善治 vs 谷川浩司 1992-10-20 竜王戦1局|その1  伝説の谷川の絶妙手 詰めの名人谷川の名局

1992(平成4)10/20第05期竜王戦七番勝負第1局

羽生善治王座」vs「谷川浩司竜王

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相掛かりの終盤戦。

△4七歩成と成捨て▲同金と取った局面。

考えられない手が出た。

 

△5七桂

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伝説の谷川の絶妙手△5七桂 詰めの名人谷川の名局

△5七桂 !? と谷川さんは打った。

5七歩成が目につくが、2四飛で思わしくないらしい。とはいえ桂馬の王手は見えない手。歩が成れる場所だし、角の利きを止めて▲7九玉と逃がしてしまうではないか。通常は筋ワルで考えない手である。

2図以下、▲7九王△7六歩 ▲同 銀 △同 飛 ▲5四銀 △同 王▲5五歩 △同 銀 ▲2四飛 △同 歩 ▲6五角 △6四王▲7六角(3図)と進行。

伝説の絶妙手だが△5七桂の局面だけでは、なぜ絶妙手なのかわからないところが深いところだ。谷川さんはこの桂馬を超難解な詰みまで読んで指したのであった。

また、最後6三玉と歩を取ってしまうとダメで△6四玉が絶対の手であった。その意味はこのあとわかる。▲7六角の続きは別ページその2で。

本局は谷川さんの名局。

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